2017年3月31日金曜日
2017年3月29日水曜日
2017年3月28日火曜日
2017年3月27日月曜日
広島原爆の被災地図と人的被災と物的被災の実態
広島市内における1945年8月6日に炸裂した広島原爆の被害状況の地図である。1945年11月30日の広島県警本部の発表によれば、広島市内の利用面積は3,306万㎡のうち被災面積は3,341万㎡(92%)、焼失面積は1,322万㎡(40%)に達した。民間人の人的被害状況は、死者は78,150人、重傷者9,428人、軽症者27,997人、行方不明3,983人、被災者176,987人で合計306,645人に及ぶ。赤半線内は焼失地域であり、建物数の76,327戸うち92%が被災して、全焼戸47,969戸、全懐戸3,818、半焼半壊18,369戸であった。赤半線内は焼失地域であり、広島市細工町19番地の爆心地から、青半線は爆心地より半径0.5km, 1km, 1.5km, 2.0km, 2.5km, 3.0km, 3.5km, 4.0kmの各500mの範囲の距離を示した。赤丸◯は軍隊諸部隊と青丸◯は救急救護所の配置である。(広島原爆医療史、1961年)
2017年3月26日日曜日
長崎市はポツダム宣言の直前から原爆目標に追加された
長崎原爆投下する作戦計画のために多数の航空写真をモザイクのように組み合わせて、長崎市内の攻撃目標を1945年7月に策定した。7月26日のポツダム宣言の直前の7月24日に長崎市が初めて原爆目標にされた。長崎原爆であるファット・マン(F31)の投下目標地点を示している。長崎市内の三菱製鋼・兵器工場であるNo.90.36-546を攻撃目標とした。写真上の114601である常盤橋を落下の照準地点とした。常磐橋から賑橋の周囲から7,500フィート(約2.3Km)の南北約2.5Km, 東西約1.5Kmの爆撃地帯を示した。航空図面はボックス・カー(V-77)のB-29の操縦者、爆撃投下者、観測者等が使用した。8月9日の投下地点は照準点から北北西約3.4Kmも離れた地点である松山町171番地上で炸裂した。
2017年3月25日土曜日
2017年3月24日金曜日
2017年3月23日木曜日
2017年3月22日水曜日
2017年3月21日火曜日
2017年3月20日月曜日
2017年3月19日日曜日
2017年3月18日土曜日
2017年3月7日火曜日
2017年3月4日土曜日
長崎原爆型により人類を深刻な危機に陥れる深刻な核兵器の実験
長崎原爆と同型のプルトニウム239型の原爆を使用したトリニティ実験が1945年7月16日午前5時29分に実施された。原子爆弾が炸裂した地表面のゼロ地点から炸裂した。原爆の炸裂して0.25秒後の火球を超高速カメラで撮影した一コマである。火球は直径は約310mに達している。熱線はこれから2秒までに熱線の90%が火球から放出された。爆風は約2秒前後で最大となった。2秒まで急速に増化する大量のガンマー線が放出されて、まわりの空気と反応して紫色に発光した。
原爆をTNT火薬の爆発と比較すると、1) 1,000万倍以上もの莫大なる爆発力、2)破滅的な衝撃波を伴う爆風、3)瞬時は数百万度まで達する 4) 人体に深刻な障害を起こす放射能の放出 5) 強力なガンマー線から電磁波の発生で人体だけでなく都市機能まで麻痺から停止する。原爆をTNT火薬とは複合的な桁違いの威力で人類を危機に陥れる。
2017年3月3日金曜日
広島原爆は100万分の1秒以内にウラン235が核分裂連鎖反応した
広島原爆はウラン235を砲身式の爆薬で臨界量を超えた時点で中性子を衝突させて、核分裂連鎖反応を起こした。100万分の1秒の核分裂連鎖反応の瞬間に、ウラン235の約50Kgの内約700gで、超核爆発エネルギーが放出された。数百万度の超高温、数十万気圧、ガンマー線・電磁波・中性子が原爆から拡散する。周囲の大気と衝突しながら噴火しながら熱線と衝撃波を炸裂した。核分裂のエネルギーの約5%が初期放射線となり、約30%が熱線、約50%が爆風、約10%が残留放射線を暴発しながら。
人類史上初のトリニティ実験の超高速度カメラで撮影された。1) 100万分の1秒で、原爆による火球の炸裂点から衝撃波が発生した。2) 100万分の2秒で、衝撃波は地表から同心円状に拡散する。3) 爆風が砂漠を巻き上げながら拡散する。
登録:
コメント (Atom)
広島のK. キッカワは広島原子爆弾の閃光による焼傷後に、1947年4月30日時点でケロイドが全身に背中から上肢に発生した。
非公開の日本原爆被爆者の写真 ー 原爆傷害調査委員会(ABCC) ー アメリカ国立公文書館 (The National Archives College Park, Maryland) SC-285581 (アメリカ陸軍通信局長写真) SC-285581 (FEC 47-...
-
非公開の日本原爆被爆者の写真 ー 原爆傷害調査委員会(ABCC) ー アメリカ国立公文書館 (The National Archives College Park, Maryland) SC-273297 SC.273297 487 FE0-47-70140 1...
-
広島原子爆弾の炸裂した直後から宇品の陸軍船舶司令部の暁部隊の青年兵士が教護活動した。広島市宇品に駐屯していた暁部隊は、直後からの救護活動で放射能による原爆症となった。きのこ雲の影響より8月6日の午後に北西部に放射能を含んだ黒い雨のどしゃぶりとなり被爆者は真っ黒となった。原爆症...
-
1歳の男児が、長崎原子爆弾の1945年8月9日の炸裂により重度の全身爆傷を被爆した。9月5日に全身状態が悪化して、 長崎市内から北東20kmの 大村海軍病院に救護された。爆傷した数日後にて多数の水疱が生じて、8月30日より発熱して、常に泣き続け全身の機嫌が極度に低下した。9月...
















